そして 人生は続く

芹野 創牧師

 

あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる(マルコによる福音書16章7節)

 

 昨年のコロナ禍とはまた違った不安の中で迎えるイースターである。「人間の出来事」が深い闇と混沌をもたらす中にあっても、この世には「神の出来事」が確かに存在する。キリストの復活が「神の出来事」であることを信仰にうちに覚えたい。しかし私たちは「人間の出来事」と「神の出来事」を明確に区別することはできない。マルコ福音書は「神の出来事」の前で恐れ、疑い、否定する人たちの姿が描く(16:8)。聖書は人の抱く「復活の知らせを聞きました。しかし信じられません」というような弟子たちの姿に正直である。

 発達障害や小児難病を専門とする小児科医の鍋谷まことさんは著書の中で、発達の相談に来られる親子に向けた「新しい物語を作りましょう」というメッセージを語る。「家族や周囲の人たちから気になっている部分を指摘されたりすると、心穏やかではいられなくなります。お母さんやお父さんが将来に向けて希望をつなげるような新たな物語を示すことが、プロの役割だと思っています。その物語はお母さんやお父さんが、子どもが胎内にいる時から思い描いた道程とは違う場合も多いとは思うのですが、新しい物語を一緒に紡ぎ出していくことができ始めたら、もうその親子は大丈夫だと思っています」。

 人は何度でも「新しい物語」を紡ぎ出すことができる。しかしこの時、人は神が備えられた不本意だと思える出来事の前で、また「人間の出来事」と「神の出来事」の区別がつかない中で、「しかし信じられません」という混沌とした思いと向き合わなくてはならない。

 キリストの復活は十字架に続く「しかし」ではない。3度にわたる十字架の苦難と復活を予告するキリストの言葉がある。私たちは復活という「神の出来事」が十字架の苦難に打ち勝つ出来事として信じている。確かに「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)と語られるように、苦難に打ち勝つ復活は私たちにとっての希望のメッセージに違いない。そのことを心に留めつつもマルコ福音書が記す「十字架の苦難と復活」を予告する言葉にはどこにも「しかし」という言葉はないことに気付かされる。そこには「そして」という言葉が語られる。


 人が「しかし信じられません」と言って立ち止まる時、神は「そして」と言って私たちの人生の物語の続きを示される。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」(16:7)。「そして、人生は続く」のである。