新しい掟

芹野 創 牧師

 

あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい(ヨハネによる福音書13章34節)

 

 キリストは「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(13:34)と語った。聖書の原文であるギリシャ語では「愛」と翻訳される言葉は複数存在している。その一つが「アガペー」である。しかし日本語で「愛」と翻訳される場合に、おそらく最も日本語の感覚に近い言葉は「アガペー」ではなく「フィリア」や「エロス」という言葉である。「フィリア」は一般的に「家族、親子、友人関係の愛」を表現する言葉である。しかしキリストが語った「愛」は「神の愛」を表現する「アガペー」である。

 

 今日私たちが「新しい掟」という表現をすることがあるなら、それはキリストの十字架以後も、人の抱く「愛」が現実世界でもネット上でも自分と同じ価値観を持つ者同士で深められ、自分とは異なる考え方や異質だと感じるものを排除し、対立や争い、戦争にまで発展するような「愛」でしかないことを残念ながら自覚する時である。私たちに今示されているのは「アガペー」という愛の実践である。それは多くの時間と忍耐が必要である。

 

 齋藤陽道さんという方の『声めぐり』と『異なり記念日』という本がある。この二冊はそれぞれ別の出版社から同時に刊行された。『声めぐり』は、聞こえない耳を持って生まれた齋藤さんが、手話や写真と出会い自らを発見していく物語である。『異なり記念日』は、齋藤さんと妻のまなみさんの「聞こえない」二人が、「聞こえる」子どもである樹さんを授かり、違いを認めながらも共に生きていく現在進行形の物語である。

 

 家族だから、親子だから自然と「フィリア」という愛が芽生え、全てを受け入れるような「アガペー」という愛が自然と芽生えるというのだろうか。決定的に自分とは異なる他者を愛する喜び、「アガペー」という愛に至る道は、悩みと苦悩に満ちている。しかしそれは実現可能な出来事であることを信じたい。キリストは「互いに愛し合いなさい」と語りつつも、「あなたは今ついて来ることはできない」(13:33,36)と言う。決定的に自分とは異なる他者を愛する喜び、「アガペー」という愛に至る道は、悩みと苦悩に満ちているからであろう。しかしそれで終わりではない。「あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」(13:36)。私たちはキリストの十字架に出会い直し「アガペー」という愛を実践すべく「後でついて来ることになる」との約束に希望を抱いて生きてゆきたい。