神の心に敵う者

芹野 創牧師

 

この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか(エステル記4章14節)

 

 エステル記は主人公エステルが、ユダヤ人絶滅を企むペルシアの大臣ハマンの陰謀に立ち向かい、ペルシアの王にユダヤ人救済を願い求めユダヤ人を見事に救う物語である。民族の存続をかけた危機的状況の中で、エステルは「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」(エステル4:14)という養父モルデカイの言葉に背中を押され、死を覚悟して王の元に進み出てユダヤ人救済を求める。それは召し出されずに王に近づく者は死刑に処せられる習慣があったからである。「このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」(エステル4:16)というエステルの言葉が印象的だ。

 

 深い悩みの中で、自らが神の計画の中に生かされていることを受け入れるのは容易な事柄ではなく、むしろ悩みと深い覚悟を伴う人生の大事であることを教えられる。しかしそこには「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」(エステル4:14)のように、その人が神の計画の中に生かされてきたことを後押ししてくれる言葉がある。

 

 使徒言行録13章13節以下では人々を「励ます言葉」としてイスラエルの歴史が語られる(使徒13:15)。ここにも人の背中を後押しする「励ましの言葉」がある。この言葉を通して、私たちは神の計画の中に一貫して流れているものがあることに気付かされる。それは「神の心に敵う者」の存在である。「神の心に敵う者」はいつの時代にも必ず現れる。そして「神の心に敵う者」はキリストの福音に連なり生きることの素晴らしさを語る。

 

 在宅ホスピス医師の内藤いずみさんは、ホスピスケアについて「何かを終わらせようとすることではなく、いまを生きているいのちを支えること」と語る。今日の箇所では、私たちの背中を後押ししてくれる「励ましの言葉」として、洗礼者ヨハネの言葉が語られている(使徒13:25)。「その方はわたしの後から来られる」。「神の心に敵う者」はキリストの福音として「何かを終わらせようとすることではなく、いまを生きているいのちを支えること」を語り、希望はこれからやって来ると私たちの背中を後押ししている。

 

 「この時のためにこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」(エステル4:14)というように「何かを終わらせようとすることではなく、いまを生きているいのちを支える」言葉に出会い、背中を押されることがある。聖書の御言葉に後押しされ、ヨハネのようにキリストの十字架と復活の福音を信じ、願わくば「神の心に敵う」ように生きたい。