静かな信頼

芹野 創 牧師

 

悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた(ルカによる福音書4章13節)

 

 「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた」(ルカ4:13)。信仰者にも人生の様々な試練や誘惑が訪れるのである。そして神への信頼はいつでも揺らぐ可能性があるということをよく知っておかなければならない。悪魔の誘惑の物語では「40日間」という時間的な長さがどの福音書にも語られている。

 

 40日という時間的な長さが、実は悪魔にとって必要不可欠な時間であることを私たちは知ることができる(ルカ4:2-3)。悪魔の誘惑や試練は突然始まったのではない。悪魔は人が弱り、身体的な痛みを感じ、神への信頼を失いそうになる状況が訪れるのを待ち続けているのである。人は神への信頼が揺らぐ可能性を抱えながら生きていかなければならない。「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない」(申命記6:16)という言葉は、悪魔の誘惑の場面でも引用される言葉である。「マサにいたときにしたこと」の詳細は出エジプト記に記されている(出7:1-7)。それは喉の渇きと飲み水をめぐる出来事であった。荒れ野の誘惑の物語も「あなたたちの神、主を試してはならない」という言葉も、その背後に物質的な貧しさがある。悪魔は人が空腹を覚え、喉の渇きを覚え、弱り、力尽き、神を疑い始めるタイミングを待っているのである。

 

 長期化する戦争の現実を前に私たちは反戦の思いを携えつつ、「神への信頼にどれだけの力があるのか」という誘惑の疑問に直面している。詩人の河津聖恵さんが「時代の闇に抗う言葉」として、2018年に亡くなった詩人で小説家の川上亜紀さんの言葉を紹介している。いわゆる「戦争法案」が採決された2015年の夏、国会前に行った後の言葉だという。「強行採決は予測されたことではあったと言ったけど、それはなにをしても無駄だという意味ではなくて、ただ長い道のりなんだということ。デモも署名も意見の表明も、それからただ考え続けることもなるべくいやな気持ちにならないでその日その日を過ごすことも」。

 

 語られた言葉の心境が印象的だ。私たちは弱り、傷つく時がある。この時こそキリストの十字架が必要なのである。キリストは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのかを知らないのです」(ルカ23:34)と人々の罪の赦しを祈られた。このキリストの十字架こそが「神への信頼」の模範である。キリストの十字架が私たちを支える力である。このキリストの十字架の故に、私たちは神への「静かな信頼」を保って生きるのである。