神の愛を宿して

芹野 創 牧師

 

あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい(創世記6章14節)

 

 この世には口を利けなくする悪霊の力が働くという(ルカ11:14参照)。その悪霊は人々の間に「沈黙」をもたらす。それは「口が利けない」のではなく信頼のない関係性の中で「口を利かない」、「対話をしない」という心を閉ざすような「沈黙」である。信頼が失われることによってもたらされる「沈黙」もあるのである。聖書はそのような信頼関係の崩れた「沈黙」の背後に悪霊の力が働いていることを示している。

 

 ノアの洪水の物語において、箱舟がノアと家族の命を守る場所として存続できたのは「内側にも外側にもタールを塗りなさい」(創世記6:14)という神の命令があったからであろう。それは外から侵入する水を防ぐ「防水処置」である。洪水の水は「命の霊をもつ、すべての肉なるもの」を滅ぼす水であった。しかしその水は信頼関係の破壊と不信が生み出す「沈黙」を象徴する水として受け止め直すことができるかもしれない。

作家の司馬遼太郎は、晩年に小学6年生の教科書用に「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章を書き下ろしている。「助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である」と続けるが、これは「本能ではない。だから、私たちは訓練してそれを身につけなければならない」と語る。「助け合う気持ちや行動、いたわりの感情が本能ではなく、訓練して身に着けるもの」という言葉から考えさせられることは、信頼関係を土台にした豊かな人間関係は、自然に形成されるものばかりではないということである。人は心を閉ざすような「沈黙」の背後にある力と対峙していかなければならない。

 

 この時思い返したいことは「内側にも外側にもタールを塗りなさい」という神の命令である。私たちは心の内側にも外側にもしっかりと塗られたタールによって、神の愛を少しもこぼすことなく、しっかりと宿す「器」に生まれ変わることを覚えたい。内側にも外側にもタールを塗るのは、洗礼の水に象徴されるように私たちに注がれた神の愛をしっかりと宿し続けることができるような「漏水処置」でもある。

 

 

 私たちは神の愛を注がれた「器」として生まれ変わるのである。しかしそれは私たちの努力ではない。「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神の神殿であり、代価を払って買い取られた」(コリント一6:19-20)。この代価こそキリストの十字架であり神の愛である。キリストの十字架によって私たちは神の愛を宿す「器」とされるのだ。