真実のしるし

芹野 創 牧師

実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください(フィリピの信徒への手紙4章3節)

 

 「確かな証拠をください。」(ヨシュア2:12)。直訳は「真実のしるし」である。「真実のしるしをください。命を死から救ってください」と求めるラハブの言葉に対して、かくまわれたイスラエルの二人のスパイは「あなたたちのために、我々の命をかけよう。あなたに誠意と真実を示そう」と答える(ヨシュア2:14)。「真実のしるし」は「命」を救う出来事である。この「真実」をめぐる会話の中に、私たちはキリストの十字架の姿を重ね見る。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:24)。キリストの十字架は私たちの命を救うための犠牲である。私たちはその犠牲の中に「真実のしるし」を見出す者でありたい。命を死から救ってくださる「真実のしるし」は自分の命や生活だけに関わるものではない。「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(ヨハネ12:25)。命を死から救ってくださる「真実のしるし」は、人々の争いや対立を鎮める力でもある。

 フィリピの信徒への手紙には福音を伝えるために尽力している二人の女性たちの様子が描かれている。しかしこの二人の女性は同じ思いを抱くことができずにいたようである。しかしこのとき彼女たちの大きな支えとなってくれる人がいた。それが「真実の協力者」である。「真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください」(フィリピ4:3)。ここでも「真実」という言葉が記されている。争いや対立があるところにこそ必要なのは、人間の知恵や力だけではなく「真実」なのでる。

 

 12世紀末イタリアのアッシジで生まれたフランチェスコは「平和の祈り」を残している。フランチェスコの生涯を綴った絵本『フランチェスコ』には「フランチェスコは/こころの/とびらを/ノックする/フランチェスコ!/わたしたちも/そのわのなかに」という言葉が綴られている。平和は一人で実現するものではないし、一人で実現しようとしてはならないものなのである。同じ思いを抱き、争いが絶えない時代の中で、私たちには「平和」を希求する仲間の「輪」が必要である。そして「輪」が作れない混迷の時代にこそ「真実のしるし」を語り続ける「真実の協力者」が必要なのである。繰り返される争いの中でも「真実のしるし」を語り続けねばならない。「真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください」。ここにキリストの福音を知る教会の業がある。