神の約束の言葉

芹野 創 牧師

イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです(ローマ人への手紙4章25節)

 

神の約束の言葉は、長い時間をかけ様々な出来事を積み重ねて明らかにされていく。「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」(創世記12:3)という言葉の具体的な出来事の一つが、ソドムとゴモラという町の滅亡と、その町に住むアブラハムの甥ロトの救いであると言えるだろう。

 

その出来事の結末を聖書は次のように記している。「ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された」(創世記19:29)。ソドムとゴモラの滅亡に直接関わりがなかったにも関わらず、聖書はわざわざ「神はアブラハムを御心に留め」という言葉を記している。ロトの救いの背後にアブラハムの「とりなしの願い」があったことを忘れてはならない。(創世記18:16以下参照)。他者を覚え、正義を願い、とりなしを祈る姿が神の約束の言葉を実現させていく。

 

2024年の4月に愛媛県今治市に「FC今治高等学校」という学校が開校するそうだ。この学校の学園長に元サッカー日本代表監督の岡田武史さんが就任される予定である。岡田武史さんはこの度の学園長の就任について「今後は、ロールモデルがない新しい時代に入ると考えています。人に任せ、従えがいい時代ではありません。多様性を認め、受け入れることも必要です。違いを受け入れて助け合っていかなければなりません」と語っている。

 

ソドムとゴモラの町を滅ぼすという神の使いの言葉を聞いたアブラハムは「全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか」(創世記18:23-25)と語る。アブラハムの信仰は自分の事柄だけではなく、神は必ず正義を行われるのだという信頼の上に立っている。神の約束の言葉は「あなたを大いなる国民にする」という「人生の祝福」だが、それは「自分のことだけ」を見つめていては決して実現しないものなのである。

 

この神への信頼はローマの信徒への手紙でも記されている(ローマ4:20-21)。とりなしの祈りの要に「キリストの十字架と復活」がある。しかしそれはアブラハムだけに限った話にしてはならない(ローマ4:23-24)。神の約束の言葉とは「わたしの人生の祝福」である。しかし「わたしの人生の祝福」の背後に、わたしの知らないところでわたしのために祈り、十字架を背負い、復活されたキリストがいるのである。「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです」(ローマ4:25)。