福音の真理にのっとって

芹野 創 牧師

 

主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。 (ヨハネ福音書6章68節〜69節)

 

 キリストの言葉につまずいてキリストのもとを離れていく決断をした人たちがいる一方で、キリストのもとに留まる決断をした弟子たちもいた。しかしそこにはキリストを裏切ることを前提とした「神の意志」が働いていた。そのことを知っていたのはキリストだけである(ヨハネ6:64)。

旧約書ヨシュア記に、出エジプトを導いた指導者モーセの後継者ヨシュアの言葉が記されている。「あなたたちは主に仕えることができないであろう。この方は聖なる神であり、熱情の神であって、あなたたちの背きと罪をお赦しにならないからである」(ヨシュア24:19)。しかしイスラエルの人々はヨシュアの言葉に反論し、自らの意志で神を礼拝すること、神の声に聞き従って歩むことを誓う。この出来事は自らの不信仰を明確に否定し、人間の意志の強さを物語る場面のように見えるが、この後に続くイスラエルの人々の離反の歴史を考えると「人間の意志は強いようで実は弱く、もろいものである」ということ物語る場面でもある。

 

 東洋大学の教授で「在日」という背景をお持ちの金泰泳さんは「在日」であることを意識した記憶として小学四年生の時に「あんた朝鮮人なの?」と聞かれ咄嗟に「違う」と答えた出来事を語っている。ガラテヤの信徒への手紙にペトロを非難する使徒パウロの言葉が記されている(ガラテヤ2:14)。ペトロは「神は人を分け隔てしない」という幻を示され外国人とも親しく食卓を囲んでいたが、そこにユダヤ人がやって来た途端に態度を変えてしまう。つまり「外国人とは親しく食事をしない」という態度に変わったのである。そこには「外国人は汚れている」というユダヤ教の宗教事情があるが、それでも「神は人を分け隔てしない」という態度を示すべきだったのかもしれない。

 

 パウロはペトロの言動を「福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていない」(ガラテヤ2:14)とも指摘する。私たちの意志は周囲の状況や習慣、伝統、歴史、その人との関係性の中で揺らいでいく性質を持っている。パウロが語った「福音の真理」とは神の意志そのものである。「福音の真理にのっとって歩く」という言葉が示すのは、「人間の意志が様々な状況の中で揺らぐ時にも神の意志が働いているを忘れてはならない」というメッセージである。十字架が人間の意志の弱さの結果ではなく、神の意志であることを心に留めたい。