芹野 創 牧師
夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」(使徒言行録27章33節〜34節)
使徒パウロたちを乗せた船は暴風に襲われ絶体絶命の危機に直面した。本日の一連の箇所には「綱を断ち切る」(使徒27:32)、「錨を切り離す」、「舵の綱を解く」(使徒27:40)など、生き延びるために必要だと思えるものを手放していく出来事が記されている。「小舟」、「食料」、「錨」、「舵の綱」を手放していく様子はほとんど自殺行為のようにも思える。私たちの周囲には物理的にも精神的にも手放すことが難しいと思えるものがたくさんある。しかし手放してみなければ分からない恵みがあることを聖書は告げている。様々なものを手放していく出来事の中心に立場を異にする人々と囲む食卓がある。パウロはキリストと同じように感謝の祈りをささげ、パンを割いて人々と分かち合い、命をつないだ。
東山荘YMCAに「ディーン・リーパーメモリアルロッジ」というロッジがある。リーパー氏は1954年、大型台風に見舞われ遭難した青函連絡船「洞爺丸」に乗船していた。当時、台風の影響が遠のいたと判断して出航した洞爺丸は、函館湾に入ったところで強風と波浪に襲われ沈没に至った。聖書物語とほとんど同じ出来事が起こったのだ(使徒言行録27:9以下参照)。洞爺丸の事故は聖書物語と同じようにはならなかった。メモリアルロッジにはリーパー氏が笑顔で食事の配膳をしている写真が飾られている。YMCAで共に過ごす青年たちとまさに「食卓」を囲む直前の写真であることが想像できる。喜びの日も悲しみの日も食事は命の糧である。喜びの日も悲しみの日もキリストが共にいるなら、そこは「いのちの食卓」になるのである。パウロが様々なものを手放していったように、リーパー氏は最後に自分の救命胴衣を手放し他の人に譲ったという。しかしおそらくリーパー氏が最後まで手放さなかったのが「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」(イザヤ43:1-2)という信仰の言葉に思えてならない。
感謝の祈りをささげてパンを割く「いのちの食卓」で、私たちはキリストから「取って食べなさい。これはわたしの体である」と勧められている。本当に大切なことのために、時には手放さなければならない事柄もある。しかし本当に大切なことのために選び取らなければならない事柄もある。それは私のために身を裂き、苦難を共に背負ってくださるキリストの体であり、「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」という信仰の言葉である。