人間同士の関わりを超えて

芹野 創 牧師

あなたは自分が抱いている確信を、神の御前で心の内に持っていなさい。自分の決心にやましさを感じない人は幸いです。(ローマの信徒への手紙 14章22節)

 

使徒パウロは「もう互いに裁き合わないようにしよう」(ローマ14:13)と語る。本日の聖書箇所を読むと「清い食べ物」と「汚れた食べ物」をめぐる理解の相違によって争いが起こっているように見える。しかしそれは表面的なことである。ここで語られているのは食べ物を事例とした「人間の生き方」の問題である。パウロは「それ自体で汚れたものは何もないと、わたしは主イエスによって知り、そして確信しています。汚れたものだと思うならば、それは、その人にだけ汚れたものです」(ローマ14:14)と語る。人間には2つの関わりがある。1つは「人と神との関わり」である。「人と神との関わり」の中で「清い食べ物」と「汚れた食べ物」という考え方が生まれてくる。しかし一方で日常生活を送る上での2つ目の関わりがある。それは「人間同士の関わり」である。「人と神との関わり」と「人間同士の関わり」のバランスを豊かに保つことが私たちに求められている。

 

列王記上の17章には預言者エリヤが、やもめと彼女の息子のわずかな食べ物を、自分のために分けてくれるように頼み、彼女がエリヤの言葉に従ったところ、食べ物は尽きなかったという奇跡が起こったことを記している。この物語は表面的には預言者エリヤとやもめの「人間同士の関わり」の中で展開しているように見える。しかしその背後で、エリヤもやもめも、それぞれが「神に対する信頼」を持っていたことに気付かされる(列王上17:9、列王上17:12参照)。私たちには「人間同士の関わり」だけではなく、「人間同士の関わりではない」ところに目が向けられていなければ、乗り越えられない危機もあるのである。

 

「人間同士の関わり」が生み出すストレスについて興味深いデータがある。公立学校共済組合の調査によるとストレスチェックを受けて「高ストレス者」と判定された教員の割合が令和5年度、調査開始以降で過去最高だったという。しかし興味深いのがコロナ禍だった令和2年度に一度、高ストレス者の割合は低下したことである。コロナ禍は私たちの生活様式を一変させた大きな出来事であった。人との関わり方、時間の使い方、生活リズムの変化によって人間のストレスは変化するということを教えられる。

 

「人間同士の関わり」に限界と躓きを感じる時、神を求め祈る者でありたい。私たちにはキリストの十字架が与えられている。私のために苦しむことを拒まず、十字架を背負うキリストに立ち返り、人間同士の関わりを超えて「神との関わり」を心に思い起こしたい。