芹野 創 牧師
あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だからです。 (ペトロの手紙一2章14〜15節)
ペトロの手紙では「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい」(ペトロ一2:13)という具体的な勧めが記されている。聖書は具体的な勧めをする理由として必ずキリストの生き方を示している(2:21以下)。「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい」(2:13)。生活の具体的な勧めの背後にキリストの十字架があることを思い返したい。
エレミヤ書50章はイスラエルを征服するバビロニア帝国に対して語られる「裁きの言葉」となっている。すでに預言者エレミヤは、諸外国もイスラエルの国も「全て裁きの対象である」と告げる神の言葉を語っている(エレミヤ25:29参照)。それは全世界的な危機である。しかし諸外国の裁き、自国への裁きの中にも「永遠の契約」(エレミヤ50:5-6)があるのだ。「永遠の契約」とは「私たちは主に養われる羊であり続けている」という約束である。希望が見えず悩みばかりが大きく見える時、私たちは「真の癒しを求めて」、「主に養われる羊であり続けている」ことを覚えて、もう一度、心の平安を、憩いの場所を取り戻したいと願う。そしてその願いは誰にも侵害されることのない「自由」である。「自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手だてとせず、神の僕として行動しなさい」(ペトロ一2:16)
世界情勢が大きく変化しつつある現在、全体主義をパロディー化したロシアの漫画が邦訳され注目を集めているという。『サバキスタン』というタイトルで架空の独裁国家を描くことで「自由」の意味を問いかけるものとなっている。どのような「自由」が人々にとっての幸福になるのかということが問われる漫画として紹介されている。
人間の作り出す制度や国家の在り方、人間が思い描く「自由」が「普遍的である」ということはあり得ないだろう。「人間の立てた制度」に従うからこそ生まれる矛盾や不当な苦しみがある。しかし私たちには「人間の立てた制度」に従いつつも、キリストの十字架を通して与えられる癒しを思い返す自由がある。それは「キリストの十字架を思い返す自由を手放さないでいなさい」ということでもある。人間の作り出す制度や国家の在り方、人間が思い描く「自由」が様々に変化していく中で、キリストの十字架による癒しは変わらない。「十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。そのお受けになった傷によって、あなたがたは癒されました」(ペトロ一2:24)。